塾の授業はある意味、勉強のできない子にとってのエサです。
エサが与えられたら、口を開けて待っているだけで、どんどん口に入ってきます。
口を開けてないなら、塾の講師から「ほらっ、今からエサを投げるから口を開けて待ってなさい」と言われます。
すると、生徒は口を開けてばちゃばちゃ泳ぎながら、エサが来るのを待つのです。
ここまで小馬鹿にして例え話をしているのは、生徒がこのような鯉のような状態になったら終わりだということです。
私たちは人間なわけですから、陸に上がってエサをもらいにいけばいいのです。
このエサというのは、勉強する内容です。
何をどう勉強するのか、それは本来は自らが考えなければいけないのです。
しかし、塾がエサをばらまきすぎると、生徒は口を開けて待つようになります。
これでは、魚といっしょです。
何も考えずに与えられたエサを食べてお腹いっぱいになっても、それでは自らエサを求めることはできないでしょう。
生徒に寄り添って、生徒のために動くという塾は実はダメな塾なんですね。
塾が生徒に寄り添うということは、その生徒は塾なしでは生きれなくなるということなんです。
塾への依存度が高まれば高まるほど、いくら高い塾代といえど払ってしまうことでしょう。
それが塾の思惑だとは知らずにです。
面倒見のいい塾というのは、確かに魅力的でしょう。
しかし、生徒の自主性を奪ってしまっては、生徒は自分で考えて行動することをしませんよ。
うちの塾も生徒の面倒を見すぎなんですよね。
本来は、もっと放っておいた方がいいのです。
なぜなら、そういう塾の方が生徒の成績は伸びるのですから。
当たり前ですが、そういう塾に通えば誰でも成績が上がるわけでありません。
行動しない者はいくら経っても成長することはありません。
逆にいえばどんな環境だろうと行動するものは、きちんと成長するのです。
私は行動しないことを良しとはしません。
動かないのであれば、動かすのみです。
別に塾なんてどこだっていいんですよ。
大事なことは行動すること。
遊んでばかりいては、どれだけ良い塾に通おうが、成績は伸びてこないでしょう。
塾に通っていてもいなくても、行動することからは逃げないでくださいね。
行動すなはち、勉強することなしに成績は絶対に伸びないのですから。
それでは、今日はこの辺で。