テストの点をとるために勉強するのは当たり前のことです。
まぁ、その当たり前のことができていない子が多いんですけどね。
そして、その結果は私的にはどちらでもいいと考えています。
良ければ努力が報われたと自分を褒めればいいし、悪ければ反省して次に活かせばいいだけです。
テスト結果というのは、自分を成長させるきっかけでしかないわけで、その結果はどちらでもいいんですよ。
もちろん、いつかはその結果が好転させていかないといけません。
しかし、その好転が起こるまではいくらでも失敗していいだと思います。
ただ、失敗しても、反省をしなかったら、成長はできません。
人は努力の結果がどうだったのかを省みないといけないのです。
熱意の少ない子は反省自体をしません。
もし、反省しないで結果を放置してしまえば、その子は今後も成長することはないでしょう。
逆に一生懸命にテスト勉強を頑張った子というのは、自発的に反省をするものです。
努力をした子というのは、悔しいという気持ちを持ちますからね。
人は悔しいと思った方が、その反動で大きくジャンプができるんですよ。
悔しいと思うためには、それなりに勉強に対する熱意がなければいけません。
熱意がなければ、悔しいと思うこともありませんし、何も感じなければ成長も起こらないのです。
テスト結果が返ってきたら、必ず保護者の方も確認してもらいたいですね。
その結果が努力に見合ったものなのかどうなのかを確認しなきゃいけないんですよ。
基本的に結果が悪いということは、勉強の量が足りないだけなんですよね。
親がいくらうちの子はかなり頑張ってますと思ったところで、結果が出ていないならそれは足りないということになるんです。
ちなみに、努力の適正量は子どもによって異なります。
兄弟でも異なりますので、上の子と同じくらい頑張っていても下の子も同じような成績がとれるわけではありません。
結果が良くないなら、その結果が上向くまで努力の量を増やすしかありません。
限界まで努力をし、これ以上は無理だというところまで努力をさせるしかないんです。
もちろん、子どもはキツく感じるでしょうし、頑張らせる親も大変です。
ただ、そこまでの努力をしておかないと、変な勘違いが生まれてしまうのです。
それは勉強の才能がないと感じることです。
勉強の才能うんぬんは、努力を最大限までやってみないとわからないのです。
才能のせいにしてしまうのは、一種の逃げですからね。
人の才能はそんなに低くはありません。
しかるべき量をしかるべきやり方でやっていけば、必ず成果は出ますからね。
テストの結果が低いというなら、まずは努力の量を疑って下さいね。
それでは、今日はこの辺で。