昔は、新出漢字が出る度に漢字練習帳に漢字の練習をしていました。
小学校低学年のころは母親が横について練習をしていたように覚えています。
漢字は書いて覚えるもの、そう教わってきました。
暗記をするためには、書くという動作は圧倒的な効果を示します。
暗記方法といっても色々あって、眺めて覚えたり、何度も暗唱したり、目をつぶって覚えているか確認したりがあります。
とはいえ、最終的にテストの答案は紙なわけですから、そこで書く動作というのが必要になるのです。
そこで書くことをサボっていると、テストで書けないということになってしまいます。
頭の中にはイメージはあるのに、それを表現できない・・・
書く練習をサボったばかりに、頭の中のことを表現できないのです。
現代っ子の多くが書くことに不慣れです。
そりゃこれだけ情報化が進んできたのですから、仕方のないことかもしれません。
スマホもタブレットも指で押せば文字が出てくるわけですから。
しかし、こと勉強に至っては、そういうわけにはいきません。
いずれ書くことが淘汰されていくかもしれませんが、今はそこまで至っていないのです。
だからこそ、書いて書いて書くべきなのだと思います。
実は成績優秀者は書くことを嫌がりません。
些細な計算でさえも、計算過程をしっかりと書き、間違えることを防ぎます。
暗算の能力があるにも関わらず、丁寧に計算過程を書いていくのです。
こうやって見ていると、書くにも才能があるのだと思います。
例えば、数学の関数を解く際も、座標や式の情報などをグラフ上にメモをするのですが、そのメモでさえもきちんとできる子とできない子に分かれるのです。
メモがいい加減になってしまえば、当然、どこかで計算間違いが起こります。
書くのがきれいな子は、その間違いに気づけるのですが、字が汚く丁寧に書くことができない子はその間違いに気づくことなく、突っ走ってしまうのです。
他にも、数学が嫌いな子は計算過程を書きません。
そもそも素直じゃないのでしょうね。
私がいくら言っても計算過程をきれいに書こうとしないのです。
筆圧も弱く、文字も薄く、殴り書きで書く・・・
こうなると、数学が得意になることはありません。
その子の意識改革が起こるまでは、数学の点数は低いままでしょう。
一方で、素直に計算過程を書く子は伸びます。
間違えも減っていきますし、計算のやり方もきちんと身につきます。
たしかめ算もきちんとこなすので、間違いに気づくことすらできるようになるのです。
数学や算数の計算は、ある程度の暗算力は必要になります。
計算の速さが数学のできを左右するのですから、暗算を正確にできるのは武器になります。
しかし、最初から暗算でやらせてはダメです。
いくら暗算が大事だと言っても、まだ基本が整っていない子に暗算をさせてしまうと、我流のやり方でどんどん間違った方向に進んでしまうのです。
後で、そのやり方を修正しようと思っても、なかなか修正できなくなってしまうくらいに根強く染みついてしまうのです。
最初は式をきちんと書き、計算過程を愚直に書き、答えを別に書きましょう。
そうしてノートにきれいに書くということを体に覚えさせるのです。
そして、いずれ暗算で計算した方が速いと気づき、自然と暗算しようと思うまでそれを続けないといけません。
勉強の基本は書くことです。
書くことで思考が刺激され、色々な解法が頭に浮かんでくるのです。
紙媒体は悪のような風潮は、教育業界の中では当てはまりません。
むしろ、それが教育業界で広がってほしくないですね。
いずれ紙がいらなくなる、そのときまでは書くことに重点を置いてくださいね。
それでは、今日はこの辺で。