世間にはいろいろなアドバイスが飛び交っています。
子どもたちも、家庭や、学校や、部活や、塾や、習い事などでいろいろなアドバイスを受けています。
そして、それらのアドバイスには優劣があります。
すべてが優秀なアドバイスというわけではないのです。
というよりも、だれからアドバイスを受けているかの方が大事でしょうか。
例えば、尊敬もしていない、どうでもいい人からアドバイスを受けたところで、「この人の言うことは聞いた方がいいな」と思うでしょうか?
大人でもそんなことはないと思います。
つまり、アドバイスとは中身ももちろん大事なのですが、それを発信する人も大事なのです。
これは親であっても同じです。
親が子から尊敬をされていなければ、親のアドバイスを子が聞くことはないでしょう。
私は長年、この塾講師という仕事をしていますので、このアドバイスについては思うことがあります。
私のアドバイスを聞くように生徒を促すためにはどうすればいいのかを考えるのです。
塾の講師なのですから、やはり生徒から尊敬されなければいけません。
中途半端な授業をして、生徒から失望されるわけにはないかないのです。
生徒の満足する授業を続け、成績が上がりきらなければ、生徒から私への信頼を勝ち取ることはできないでしょう。
塾講師になりたてのころは大変でした。
私が良かれと思って行ったアドバイスも、生徒に全く届かないのです。
しかし、最初は届かなかった私のアドバイスも私の熱意に生徒が応えてくれるようになると、徐々に聞き入れてくれるようになりました。
このようにアドバイスというのは、単に発していればいいというものではないことがわかります。
その内容もさることながら、アドバイスを発している人となりがとても重要なのです。
まぁ、何年も塾講師をやることでそれなりに重いアドバイスができるようになりました。
ただ、それでも生徒によっては、受け取り方が違うのです。
次に問題になるのは、受け取る側です。
受け取る側、つまり生徒がどのように受け取ろうとするかが問題なのです。
ここは生徒のやる気によって変わってきます。
やる気がある子はとにかくアドバイス通りにやろうとするのです。
先生のことを信じて、言われたとおりにやるべきことをやっていきます。
言い換えれば素直ということでしょうか。
やる気がある子というのは、総じて素直な子とも言えるのです。
しかし、その中でも違いが出てきます。
聞き方の違いなんでしょうか。
頭のいい子のアドバイスの聞き方がひと味違うのです。
頭のいい子はアドバイスを吟味します。
自分のためになると思うものを積極的に採用するようになるのです。
つまり、考え無しにすべてのアドバイスを採用しないのです。
有効なアドバイスを取捨選択して、自分を高めていくわけです。
こればかりは幼少期からの頭の使い方がものをいいます。
簡単にその境地に達することはできないのです。
とはいえ、自分に有益なアドバイスとは何かを考えることは大事なことだと思います。
単に受け身になってアドバイスを受けるのではなく、自分で有益なアドバイスと無益なアドバイスをふるいにかけるのです。
そういう行いが自然とできるようになったら、アドバイスに振り回されることもなくなると思いますよ。
それでは、今日はこの辺で。