「魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えよ。」
これは教育者にとっては当たり前に知っている格言なんですが、ご存知でしょうか?
『人に魚を与えるだけでは、その日の暮らししか守ってあげられない。
しかし、魚の釣り方を教えてあげれば、その人は今後も生きていけるだろう。』
ということを表しています。
これは教育者としてしっかりと守らなきゃいけないことなんですよね。
生徒がわからないと言ってきて、すぐに答えを教えてしまうのは、「魚を与える」と同じことなんです。
私も塾講師になりたてのときは、そんな教え方をしていました。
生徒が困っているんだから、助けてあげなきゃって本気で思っていましたね。
当時は教え方も未熟で、生徒からわからないと苦情を受けていました。
当時の上司であった教室長からは指導方法を徹底的に叩き込まれましたし、本当に教えるのが下手だったんですよね。
それから年月を経て、どんどん教え方はうまくなってきたんですけど、それでもまだまだ「魚を与える」ような教え方をしていました。
そっちの方が生徒受けもよかったですから、安易に教えてしまっていました。
しかし、あるとき上司の教え方を聞く機会がありました。
その上司は「質問に来てもすぐには教えない。調べてきて、自分で理解しようと努力してきて、それでもわからなかったら教える」というのです。
最初それを聞いたときは、なんて回りくどいんだろうと思いました。
当時の自分はその意味を理解できていなかったんですね。
そして、その言葉の意味は少しずつわかってくるのです。
何年も生徒を指導して、中学から高校へと送り出していったんですが、その生徒の学力が伸びないことが多くなってきたんです。
中学時代にあれだけ指導したのに、高校になったら落ちこぼれてしまう・・・
こんな状態が続いてしまったんですね。
この原因を考えていたときに、自分の指導の愚かさに気づいたんです。
上司の言うことが正しいのだと、わかってきたのです。
そこから私は「魚の釣り方を教える」指導に変えていきました。
生徒から質問があっても、すぐには教えません。
教科書を持ってこさせ、書いてある場所のヒントを与え、それを読み込ませて理解をさせるようにしています。
授業中でも丸つけをして、間違っていたとしても、なぜ間違っているのかを教えません。
まずは考えさせます。そして、調べさせます。
そうまでしても気づかないなら教えますが、教えるのは最終手段にしているんです。
教えるのは簡単です。
しかし、それはあくまでも私の知識を披露しているだけなんです。
まるで私が問題を解けることを生徒にアピールしているようなものです。
テストは生徒自身の力で解かないといけないんですよね。
テスト本番では誰も助けてくれないんです。
自分で解くしかないんですよね。
わからないことが出たとき、自分で調べる力を養わないと、この先、1人で勉強してはいけないでしょう。
勉強の仕方を教えるというより、自分で気づかせることが大事なんです。
自ら考えられない人間は、頼りになる人間がいなくなった瞬間に何もできなくなってしまいます。
うちの塾の目標は自分で勉強できるようにさせることです。
高校に行っても、大学に行っても、社会人になっても自ら考え行動できる人間を作っていきたいですね。
それでは、今日はこの辺で。